2015年3月の代表メッセージ

■□ 道徳教育のモラルジレンマ □■

 桃の節句を迎えて、春の気配が感じられるようになりました。
 子供たちもまもなく春休みを迎えようとしています。

 教育改革もまた春を迎えようとしているのかもしれません。
 先月2月4日に文科省が公表した学習指導要領の改正案がそんなことを感じさせてくれました。

 大津のいじめ自殺事件を契機に「道徳」の教科化の必要性が認識された結果、文部科学省は、2018年度から道徳を「教科」として位置づけることを表明いたしました。
 それに伴い、学習指導要領を改正し、検定教科書を使って授業を行うというものです。
 この学習指導要領の改正案については3月5日までパブリックコメントを求めています。

 今回の川崎の少年による中学生殺人事件などの少年犯罪の裏には、子供たちの「心が未成熟である」という問題が隠れているように思います。
 その意味でも「道徳」が教科として認定され、教科書に基づいて教育がなされるという方向性はとても重要なことだと思います。

 改正のポイントをまとめてみました。

 1.「道徳の時間」を教科に格上げし「特別の教科 道徳(道徳科)」とする。
 2.道徳の検定教科書を導入する。
 3.生徒に対して数値などによる評価は行わないが「記述式の評価」は行う。
 4.「読み物道徳」から「考え、議論する道徳」への転換を図る。
 5.国や郷土を愛し他国を尊重すること。
 6.いじめ問題への対応として「してはならないことはしない」ことと自尊感情を育む項目を追加した。

 以上の点があげられるのではないかと思います。

 まとめてはみましたが、「学習指導要領案」からポイントを絞り込むには時間がかかりました。
 文科省が何をしようとしているのか、何を言いたいのか、わかりにくいからです。
 日頃、法律用語や、役所用語が満載された書類を扱っている方には当たり前のことなのでしょうが、日常このような文書に接することの少ない私たちには難しすぎるように思います。
 もっとはっきり「こうしたい、ああしたい、このように決定しました」等々のようにわかる言葉で書いてほしいものだと思います。

 さて、現在の「道徳の時間」はDVDやテレビを見せてお茶を濁すことも少なくありません。
 他の教科に振り替えられ、実際には「道徳の時間」が「国語」だったり、「数学」だったりする学校もあるというのが現在の道徳の時間です。
 このような現状を打破し有意義な時間とするために道徳を教科化する意味は大きいと言えます。

 ただ道徳の本来の意味からして、「道徳」の授業を受けた子供たちが「良く」ならなければこの改正案も意味がありません。
 特に見直しが必要だと思われるのが、モラルジレンマによる道徳教育です。
 モラルジレンマによる道徳教育は、二律背反する命題を提示し、どのようにすべきかを考えるという授業方法です。
 よく例としてあげられるのが、「薬の万引き」です。

 ある小学校の先生をしている方が教えてくれた授業方法はこのようなものでした。
 「息子が病気になった。お母さんは、お金がないので、薬局で薬を万引きしました。みなさんはどう思いますか」という道徳の授業があるということでした。
 その授業で「万引きは絶対にだめだ」、「息子のためだからしかたないことだと思う」
 というように生徒からは様々な意見がでるのですが、
 教師には「これが正しい」とか「私はこう思う」とか言ってはいけないことになっていると話していました。
 さらに、その授業がうまくいったかどうかは、子供たちがどれだけ発言したか、つまり盛り上がったかによって評価されるとのことでした。

 例えば「薬を売っている方が悪い」とか、「監視カメラをつけないのが悪い」とかいう意見にも「良い意見ですね」と言ってしまうわけです。
 他にも「妹が瀕死の状態になった。止まっていた車の運転手を殴って、車を奪い、その車で病院に行った」というテーマの授業も行われています。
 これらの道徳授業の中で自己中心的な考えや行動が肯定され、「ジコチュウ」の子供が育つことが懸念されているのです。

 モラルジレンマによる道徳授業では、「多様な価値観を身につける」というところに主眼があります。
 そのために、「善悪を峻別する」ことが置き去りにされてしまっています。

 ただ、何を教えるかという明確な目的や理念をしっかり把握し、「善悪」を踏まえながら教えているならばモラルジレンマという手法による道徳教育も、「考える」、「他の人の考えを尊重する」という意味では悪くありません。

 「多様な価値観を受け入れる」ということと、「善悪をはっきり教える」ことが、同じテーブルで議論されるところが混乱を生んでいるように思えるのです。
 子供たちに「善悪」を教えることは絶対に必要なことです。
 社会のルールや人間関係のルールという基盤をないがしろにしてしまっては社会生活ができません。
 子供であっても守らなければならないルールがあるということを教えることは、「価値観の押しつけ」ではありません。
 これは「生徒指導」です。

 「生徒指導」で「いじめはだめ」、「人をたたいたらだめ」、「万引きしてはいけません」、「掃除はしっかりしなさい」と先生が子供たちに話していながら
 道徳の授業では「良いこと、悪いこと」の判断をしないという矛盾する教師の態度を見て、子供たちは「迷う」ものです。

 従って、モラルジレンマの授業では、ディベート(討論)が成り立つようなテーマを選ぶべきです。
 例えば、「学校に自動販売機を設置することについて賛成か反対か」、「掃除の時間は昼休みがいいのか、放課後がいいのか」など
 犯罪になったり、ルールを逸脱しない範囲内で、子供たちの年齢に合ったテーマを提示してあげていただきたいのです。

 日本全国で、「道徳」を通して、人生の意味や夢を見つけられるような授業が展開されたならば、未来はより明るくなるでしょう。

いじめから子供を守ろう ネットワーク

代表 井澤 一明