2015年7月の代表メッセージ

1.「人としての誇り」を育てたい
2.自殺するぐらいなら学校に行かなくてもいい


■□「人としての誇り」を育てたい □■
7月になりました。あちこちで七夕飾りを見かける季節です。
子供たちは、夏休みを目前に控え、期末試験の最中でしょう。
また、各地で運動部の大会も開かれ何かと忙しい時間を過ごしていることだろうと思います。

先週、校長先生と話す機会がありました。
「近頃、いじめはどうですか」と問われて
「うちにくる相談は減ってきていますね。いじめ防止法ができたことが影響しているように思います」と答えたところ、
「私もそう思います。学校や教員の意識が変わりましたね。
校長の研修会があったのですが、そこでも『うちの学校はこんな状態で、困っています』と赤裸々に現在の状況を発表する先生が何人もいました。もう隠そうと考えていないんですよ。周りの力を借りようという姿勢が出てきているように思います」と教えてくださいました。

その校長先生がおっしゃっていたのは、
「大切なことは予防です。いじめや暴力事件などが起きた場合は、責任を持って必死に対処いたしますが、事故が起きてからでは遅いんです。
やはり予防です。いじめや事件を起こさないようにすることが、一番重要なんですよね。
そのためにも規範意識を育てることは欠かせません」
と、予防の大切さを力説されていらっしゃいました。

まさにそのとおりだと思います。
ルールや善悪の判断を教えるということを通して子供たちの中に、「人としての誇り」を育てることが不可欠だと思うのです。

先週も
「いじめが分かっても、まったく謝らないんです。親も子供に謝らせようとしないんです。
校長先生が謝罪するようにお話しても、うちの子はやっていないの一点張りなんです」
という相談が入ってきました。
これには困ります。
謝罪というものは、「強制」できない性質のものです。
何十年も前でしたら、言うことを聞かないならビンタするということもあったかもしれませんが、今はそんなことはできませんし、ましてや保護者に対して強制はできません。

「認めなければ、やっていないことになるんだ」
「証拠がなければいいんだ」
「謝ったら負けになる」などと悪いことだとは知りながらも、反省もせず、謝罪もしない子や保護者が増えているように思います。

日本の良き伝統でもある
「人に見られて恥ずかしいことは、人がいなくてもしない」
「卑怯なふるまいはしない」
「嘘をつかない」
「人の悪口は言わない」
等々と考える人間を育てるには根底に「人としての誇り」が必要であるはずです。

「誇り」が育たなければ、「いじめは悪いことだ」という言葉も子供たちの心を素通りしてしまうように思います。

「正しい」ことをする子は、カッコいいんだという価値観が薄れてきています。
私たち保護者、教師、子供をとりまく周囲の大人たちには、この正しさを伝えていく責任があります。

冒頭に述べましたように、今、学校が変わりつつあります。
「いじめは許さない」という姿勢が当たり前になりつつあります。
しかしながら、この変化はまだ始まったばかりでもあります。

皆様と力を合せていじめを減らし、子供たちが安心して学べる学校を増やしていきたいのです。
私たちは、いじめ問題の講師の派遣も行っています。
子供たちに、PTAの皆様に、そして教職員向けにもお話させていただいております。
ぜひ、そのような機会を賜われれば幸いです。ご検討、お願い致します。


■□ 自殺するぐらいなら学校に行かなくてもいい □■
まもなく夏休みという7月初旬は、過去、いじめ自殺が何度も起きている危険な時期です。
振り返れば2013年には、7月に長崎、宇部、名古屋と4日の間に3件も続いたこともありました。

今年もまた、岩手県矢巾町で中2の男子生徒がいじめを苦に自殺するという残念な事件が起きてしまいました。
現在、報道されている内容をまとめてみます。

7月5日午後7時半頃、矢巾町の中学2年の村松亮くんが線路に転落し亡くなり自殺の可能性が高いと見られている。
その後、担任との生活記録ノート(連絡ノート)にいじめを相談していた記述が見つかったという。
今年5月以降、生活記録ノートには
「なぐられたりけられたり首しめられたりこちょがされたり悪口言われたり!」と書き、
それに対して担任は「それは大変、いつ?? 解決したの?」と返事している。
生徒は「解決していません」と返答しているが、担任の欄は空白で、生徒の記述に二重丸をつけ返している。
6月29日には「もう市(※死)ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」と書かれ、
担任からは「明日からの研修 たのしみましょうね」と返信。これが最後の生活記録ノートとなった。
生徒は中1の時からいじめられ、父親が学校に相談し、教師を交えて生徒の話し合いが持たれたこともある。
取材に応じた同級生から、
「中2のクラス替えを機にいじめが激しくなり、毎日のように頭をたたかれ、髪の毛をつかまれて机に頭を打ち付けられていた」、
また、「他の生徒は、かかわりたくないので距離を保っていた」というクラスの様子が伝えられている。

また、鈴木美成校長は記者会見に応じて
「私の認識のなかでは、まだ自殺なのか事故なのかという結論が出ていないのかなという認識はあります」
「校内で私のところでそれを共有している事実はありませんでした」
「担任の教諭にまだ詳しく聞いておらず、いじめがあったかどうかは分からない」
「担任から聞いていない。いじめは否定できないが、あれば私に報告があるはずだ」
「担任は生徒の自殺後、病欠している」
「生徒の死は絶対に防げなかったことではないと思う」と話している。
一連の報道を受け、学校に対しての批判が高まっている。

本当に悔しいかぎりです。私たちが訴えてきたことがまだまだ伝わっていないと、力不足を実感しています。
「いじめを絶対に許さない」という姿勢を教師が示さなければいじめはエスカレートしていくのが現実です。
学校で生徒を守ることができるのは教師だけです。学校だけです。
今回は、村松くんが何度も教師に相談しているだけに悔しさが残ります。
学校が守れなくて誰が守れると言うのでしょうか。

子供たちには、「自分で自分の身を守るため」に「引っ越さなくても転校はできるんだ。フリースクールに通ったり学校を休むことも悪くない」ということを知っておいてほしいと思います。

さらに再発を防止するためには、岩手県のいじめに対する考え方そのものを変えていく必要があります。
私たちは今までに岩手県に住む方からの相談も受けてきました。
しかし、正直、岩手県はいじめ解決困難県の一つであるように見えます。
なぜならば、県教委、市教育委員会、学校、教師が一体となっていじめの隠蔽を図ってきたということを何度も経験しているからです。
保護者が学校に相談しても、いじめと認めてくれることがありません。
ある中学生の事案ですが、保護者と教育委員会の話し合いが行われたことがあります。
その日の話し合いの場には、学校から提出された「いじめではない証拠」として厚さ5cmを超える紙の束が、保護者を待ち受けていました。
その上、「いじめではなかった」、「いじめの証拠がない」、という言葉が繰り返され、
「お宅のお子さんに問題があるというのが結論です」と突っぱねられたのです。
この子の親戚には現役の教師もおりました。しかし、その先生は保護者に対して
「学校ともめるな。ましてや教育委員会に話にいくとは何事だ」と強く非難し学校をかばうのです。
このように、県下に「声を上げるほうが悪い。問題にする方が悪い」、
「いじめられる子が悪い」という風潮が根付いているように見えます。

私たちは「いじめは犯罪」と訴えております。
ぜひ、岩手県にお住まいの皆様も
「いじめは許さない」、「いじめは犯罪なんだ」という声をあげていただけませんか。
そして、今回のようなことを繰り返さないためにも
「いじめを放置、隠蔽、いじめに加担した教師に対する処罰規定」を条例化していただきたいのです。
学校で、クラスで、生徒を守るのは教師の責任であり、義務です。
それを放棄した教師は「罰せられる」という条例があれば、それが今回のような事件を抑止する力となるのは間違いありません。

いじめから子供を守ろう ネットワーク

代表 井澤 一明