2018年8月の代表メッセージ

8月のメッセージ

☆2018年8月3日☆
[いじめから子供を守ろう メールマガジン]

◇ 代表メッセージ ◇
■□ 伝えたい「天知る 地知る 我知る」 □■

猛暑ですね。
日曜日、暑くても近くの運動公園のプールは、大盛況でした。
朝の8時には、テントが張られて小学生の大会の準備がすすみ
子どもたちがぞくぞくと集まってきていました。
プールは夏の楽しみの一つですが、
今年は、あまりの暑さに閉鎖されてしまう事態が各地で起きています。
ある先生は、「プールの水温が35℃にもなって、もうお風呂なんですよ」と話していましたが、
子どもたちには残念な事態でしょう。

日本の夏と言えば、お盆の季節でもありますが、
50年近くも前、私の田舎では8月のお盆の頃に「施餓鬼(せがき)」というものがありました。
施餓鬼とは、地獄の餓鬼道におちて苦しむ衆生に食事を施して供養する仏教の行事(法会)のことです。
当時、そんなことを知るはずもなく、強制的に子どもたちはお寺に集められ、お墓の掃除をさせられ、
意味不明のお経を正座で長時間も聞かされるという苦痛以外のなにものでもない行事でした。
特に「怖かった」と印象に残っているのが、地獄絵を見せられての話でした。
体から吹き出る血、奇妙に膨れたお腹、真っ赤な炎の中を鬼に追いかけ回される半裸の亡者や餓鬼の姿。
小学生にとって「死」というものはめちゃくちゃ怖いものでした。
その「死」に直結したお寺で「地獄絵図」を見せられ脅されるという、子供からみると、とんでもない行事があったのです。
小学校も中学校も廃校になった現在の田舎では、そんな行事も、もう思い出でしかありませんが、
当時は、悪いことをしたら「鬼が来る」、「地獄に落ちる」というのは、「当たり前」のこととして教えられていました。

現代の子どもたちは「あの世なんかない」と思っている子が多いようですが、
私の田舎では「あの世」と「この世」はある意味一体化していました。
うちの父もこのような体験をしています。
ある夜、親戚の家を訪ねた帰り道のこと、いつもの道を歩いていたはずなのに、ふと気がつくと、
何キロも離れたところにいることに気付きました。
父は大慌てで夜道を駆けて家にたどり着くと「狐にだまされた~」と大声で家族に訴えていたものです。
本人は驚いても村では大きな話題にはなりませんでした。
「人魂が飛んでいた」とか「死んだ婆さんが訪ねてきた」、「戦死した叔父が家に入ってきた」とかの話は
日常茶飯事なので、村では「へーっ、そうだったか」くらいですまされてしまう程度の話なのです。

そんな伝説や昔話の世界に住んでいたのですが、かといって小学校時代が、「みんな仲良し」というわけでもなく、
現代とはかなり違いますが時にはいじめもありましたし、ケンカもありました。
それでも、心の何処かには「悪いことをしたら地獄に堕ちる」という感性を持っていたように思います。

現代の「いじめ問題」が重い理由の一つには「節度がない」という点が挙げられると思います。
「不登校になるまで攻め続ける」、
「精神科に通うまで追い詰める」、
「葬式ごっこ」、
「自殺の練習させる」
目を覆いたくなるような事件が続いています。
それは限度を「知らない」子どもたちというより、「限度が分からない」子どもたちが増えているからだと思うのです。
その背景には
日本に風土に根づいていた「あの世と結びついた価値観」というものが失われていったことも
影響しているのではないでしょうか。

仏教だけでなくキリスト教にも天国、地獄や煉獄という考え方がありますし、
NHKの「西郷どん」の西郷隆盛が大切にした「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)という言葉もありますが、
儒教にも「天が見ている」という考え方があります。
「天知る 地知る 我知る 人知る」との言葉もありますが、
目に見えない存在が、「必ず見ている」という感覚は、
悪いことをしてはいけないという心のブレーキとして働いていたように思います。

結局、道徳やモラルと呼ばれる考え方の背景には、
仏教やキリスト教、あるいは儒教と言った考え方が根底にあり、
そこから「何が前で、何が悪なのか」という規範が生まれ、何千年にも渡って語り継がれてきたと言えます。
若いお母さんの間で「絵本 地獄」(風濤社)が人気だと聞いています。
この絵本を見せると子どもたちが「いい子」になるというのです。

対処療法的にみれば「いじめ解決」は学校に委ねるしかないのが現実です。
学校に見放されたならば、「転校する」か、「学校に行かない」という選択肢をとるしかなくなってしまいます。
しかし、もっと大きな視点で考えた場合には、
子どもたちの「心」に訴えていくことがより重要なのだと思います。
そのためには「家庭」や「社会」において
「善なること」、「悪なること」を教えると同時に
なぜ、その考え方が大切なことなのかを伝え続けることが必要だと思います。
そのためには、古い考え方だという方もいらっしゃるとは思いますが
「天国や地獄がある」という考え方は、子どもたちの暴走を抑止する考え方としては効果があるのではないでしょうか。

そして、大人である私たち、親や保護者、教師が、子どもたちのお手本となる生き方を示すことが
何よりも重要なのだと思います。

いじめの相談も夏休みに入って少なくなってきました。
しかしながら、いじめられない状況になっても、いじめにおびえている子もいます。
新学期のことが頭によぎって苦しんでいる子もいます。
何か不安なことがありましたら、ご遠慮無く、ご相談ください。

一般財団法人 いじめから子供を守ろうネットワーク
代表 井澤一明


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